凛としてる。

言語化が苦手なおたくの練習帳。主に現場の備忘録。関ジャニ∞、内博貴くん、ふぉ~ゆ~

関ジャニ∞よ永遠なれ

関ジャニ∞

一向に予測変換に出てこなかった時代、毎回機種変更のたびに携帯の辞書に登録していた名前。今、「かんじゃにえいと」と打つと関ジャニ∞と変換されるのが当たり前になって、彼らと彼らのファンの長年の努力の結晶だなと心から敬意を表します。

みんなで大事に育ててきたこの名前が今日で幕を閉じるということで、関ジャニ∞という名前との思い出と今の気持ちの備忘録を(完全に自分用です)。

 

 

2002年内博貴くんのドラマ「ドレミソラ」

ひときわ輝く美少年に目を奪われた小学生の夏が原点で、これが「関西ジャニーズJr.」との出会いで、ジャニーズの存在をちゃんと認識したきっかけだったと思う。

それから、NEWSがデビューして、バレーのコートを駆け抜ける内くんを見て「あの人だ」となって、何かの音楽番組で「関ジャニ」としても内くんがいて、???となった記憶。
ある程度経ってから「掛け持ちだったんだ」と知る。
今考えると異次元だよ、デビュー組の掛け持ちって。

当時は親の方針でテレビをあまり見れなくて、エンタメに疎くて、ジャニオタという言葉ももちろん知らず、ライブとか舞台とかもあまりよくわからなくて、内くんってかっこいいな〜ぐらいの気持ちで中学生になった。

(2002年は日韓W杯で私は並行してサッカー選手にハマっていた)

2006年、確か情報の授業中にYahoo NEWSを見ていたら(怒られろ)内くん活動停止のニュースが舞い込んできた。

その頃には私の中に内担の人格が出来上がっていたような気がする。がんばっていきまっしょいをすごく楽しみに見ていたので、その前の年ぐらいから割と追っていたのかしら。あまり覚えてない。

そこから必死になって情報を集めた。
Webの登録はその前からなのかな。エイトのWebを当日に読んで、亮ちゃんの縦読みに泣いて、大倉くんの「8→1」に助けられて、「関ジャニ∞」という特定のグループに完全に気持ちを持っていかれたのはこの時だったような気がする。

初めて行ったLIVEは1st全国ツアー、初めてエイトが自分の地元に来てくれると知って、メルマガを通じて知り合ったいたお姉さんに代行して取ってもらった。

子どもだった私、内くんが帰ってきてると信じて、
ダサいピンクのうちわを作って1人で参戦した。今思えば強メンタル中学生すぎる。
でも、その時に買ったグッズは安田君のクリアファイルだった。
いつから私は安田担になったんだろうか。
気づいたらいつの間にか安田担の人格が出来上がっていた。

高校は、せっかくだからと大阪の高校を受験した。
大阪にいる間にいつか8人の関ジャニ∞が見れると信じてやまなかった自分が懐かしいな。
受験勉強中はHeavenly Psychoとプロペラとサムライブルースを永遠リピートして過ごした。

実家を離れて大阪で寮生活をしたは良いものの、
入学してみたら寮則が厳しすぎて全然関ジャニ∞を追えなかった。
たまに出る梅田のタワレコオリコン1位を取ったことを知って「知らないうちにすごい大きいグループになったなあ」と寂しくなったりもした。

そして若気の至りで「内くんが戻ってくるまでエイトのコンサートにはいかん!」と謎の意地を張って、高校を卒業して東京に来て、関ジャニ∞からいったん離れた。

離れた期間は、もともと好きだったサッカーの現場に立つことになったり、サッカーが仕事になったりして、それはそれで充実していた。

そんな中でもちょっと元気が欲しいなと思った時は関ジャニ∞を引っ張り出してきて、
カラオケに行った時に「Heavenly Psycho」があることに感動して歌ったりして、
私の生活には常に「関ジャニ∞」がどこかで存在していて、ある意味で当たり前の存在になっていたのかも。

2018年、仕事で同僚たちと深夜作業をしていた時に「ジャニーズでもかけますかね」と言ってエイトをかけたら同僚から「そういえば関ジャニ∞誰か辞めるよね」と言われて初めてすばる君の退所を知り、「おい!内くん戻ってきてないけど!」と慌てて出戻った。

そのあとはかくかくしかじか色々あったけれど、関ジャニ∞関ジャニ∞でいてくれることが心の支えになっていた。

 

関ジャニ∞という名前がある世界で私は私の人生を歩んできて、

この名前の中に内くんもすばるくんも亮ちゃんもいた歴史があって

ライブのたびに「K!A!NJA! NI EIGHT!」を叫び(関ジャニ∞と歌詞にある曲多すぎないか)、

俺たちが最高で最強の「関ジャニ∞!」を叫び

知らず知らずのうちに命に刻み込まれて愛してしまった名前なのよ

そんな名前が今日でおしまいなの本当に本当に本当に寂しい

私ですら生きてるとこんな辛いくて寂しいことってあるんだなとダメージが大きいのに、

本人たちの辛さを慮るといかほどだっただろうなと

こんな時も彼らはいつものように私たちの一歩先を走って「ゆっくりでいいから着いておいで」と言ってくれる

関ジャニ∞はずっと俺たちの中で生き続けるよと言ってくれる

変わらず、心底信頼できるお兄さんたちである

そんな彼らにこれからもついていく決意をここに記しておこうと思います

 

新しい名前、そっこーで予測変換に乗せたるからな!!

関ジャニ∞の歴史は私の、私たちの中で永遠です。
最高で最強の関ジャニ∞。大好きです。ありがとう。8→1

 

最愛の曲Heavenly Psychoを聴きながら 2024.2.3

いつも夢に選ばれないまま陽がのぼり沈んでいく日々
そこに僕の姿がなくても世界は簡単に回った

でもこうして繋いだ手ひとりじゃないね

だから何回も試してみるんだ 希望の歌