8人と7人と6人と私。
8/4 福岡
私の十五祭初日でした。
最高だったな。
本当に楽しかった。
すっごく幸せで、「キャーーー!」にならない感情は、目から出る液体として体から放出されて行きました。
私は安田担の自覚をもって生きていますが、同時に内くんのファンでもあります。
ジャニーズの入り口は内くんで、内くんがいなければエイトを好きにならなかったし、エイトがいなければ内くんをずっと思い続けることもなかったな~というのが自己分析の結果(?)ですが、私はめちゃめちゃブランクが長い出戻りおたくなんですよね。
「安田担という自覚はあるけど内くんのこともずっと好きと言ってる私って何なんだろう」
「内くんと私、エイトと私、どんな感情をもって今私は彼らを見ているのだろう」
という議題で脳内会議をしたくなったので、文章を書くことにしました。
5000字超の超長文です。息以外することがなくなってしまった時にでも読んでください。
私が MYジャニオタ史 を後で見返せるようにしたいがために書く文章でもあるので、
多分に自分語りです。めちゃめちゃ自分語りです。どこまでも自分語りです。
さらにはセトリや演出のネタバレを含みます。
苦手な方もきっといると思うので、自衛してくださいごめんなさい!
関ジャニ∞と私
まずは自分語りの章です。
大丈夫でしょうか…
始めますね。
ジャニーズの入り口は内くん、というのは、唯一自分の記憶の中で時系列が確実な「内くんと私」の部分。
夏休みの子ども向け昼ドラ枠が大好きで、内くんはその1つ「ドレミソラ」に出演していました。
「ウエンツ×あかね」推しだった天てれっ子の私は、大沢あかねちゃんが出ているこのドラマを毎回楽しく見ていました。それに出ていた天才的美男子「内博貴」。
リアタイしていた人はきっとみんな同じ衝撃を共有したはず…
あれ、ヤバかったですよね!?!?!?!?
私が初めて自らジャニーズを好きになった瞬間でした。
そのあとの記憶は時系列が定かでないのですが、雑誌が増え、エイトがデビューし、CD・DVDが少しずつ増えていきました。
安田さんを好きになったのはExcite!を観たころ、のはず。ダンスが好きで、顔も好きで、雑誌の発言が意味わかんなくて気になる状態が続き、気づけば覚えたての「自担」という言葉を安田くんに使っていました。子ども部屋の壁には、エイトのピンナップと内くんと安田くんのソロページが飾られるようになりました。
2005年。内くんをテレビや雑誌で観られなくなりました。
縦読みにたくさん救われ、
ノートやテストの答案、いろんなところに「8→1」を刻み付け、
カウコンは見学に来てるかもしれないと、粗い映像をスーパースローでたくさん確認して、とにかく必死に存在の証明を探していた幼いわたし。
2006年。地方在住だったし子どもだったし周りにジャニオタがいないしで、ライブなんか行けないと思っていたんだけど、お姉さんが声をかけてくれてエイトの初全国ツアーに入ることができて、そこで初めて生で観ることができたエイト。しかし夢のような時間すぎてほとんど記憶がない。悲しい。貴重なエイトバージン… でも最高に楽しかったという感覚、また8人で戻ってくるからという言葉だけは残っている。なぜ円盤にならなかったのか。
そして200X年。「8」にこだわる7人にしがみつきながら、私は高校生になりました。
内くんやエイトを好きになったぐらいにできた夢があって、
それはダンサーでした。
バックダンサーでも、テーマパークダンサーでもいいんだけど、とにかく踊ると目の前の人が笑ってくれるのが嬉しくて、軽率に「踊る職業」を目指していました。
エイトと一緒に夢を追いかけている気持ちでいた。
中学生のころはスクールに通って、
高校は全国大会常連のダンス部があるところに進学した。
エイトの曲に自分の夢を乗せて受験も頑張ったし、どんどん大きくなるエイトに自分の未来を重ねながら(その感覚、若~~~!)週7の練習に取り組んだし、成績も絶対落としたくなくて頑張った。
けど、高校最後の全国大会メンバー決めの時期に小さなけがをして、オーディションを受けるのをやめた。けがは大したことなかったんだけど、糸が切れちゃって、天井を見てしまった。
「これ以上上手くなるのは無理だ」
「ダンスは趣味で続けよう」
そう考えながらふらっと寄ったタワレ◯で目に入った無責任ヒーローのポップ。というか《関ジャニ∞コーナー》。
「すげ~な…売れまくっている…」(実家を出て寮生活だったのでなかなかジャニの情報にキャッチアップできておらず、1位取りまくってたのを知らなかった)と、
小さいことで夢を簡単に諦めた自分と、「まだまだ」とどこまでも走り続けるエイトのコントラストに何となく引け目を感じて、そこからジャニーズとは距離を取るようになりました。(なぜ同じ土俵に自分を置いて落ち込んでたのか…ぶん殴ってやりたい)
月日は流れ、社会人としての生活も長くなっていた2018年4月。
楽しい楽しい私の誕生日にそのニュースは飛び込んできました。
友だちと集まっていて、「ジャニーズ曲でも流すか」と自分のiPhoneに入っていた嵐の曲を流した時(ほんまにジャニーズと距離取ってたんか????)、
友人の一人が「すばるくん、やめるんだってね」と言い出しました。
私「え?」
友人「なんか明日会見するらしいよ」
私「(調べる)……………ほんとだ」
唖然。
いちばんやめないと思っていた人だった。
彼の声のためにある楽曲だと思った曲もたくさんあった。(個人の感覚です)
本当にやめるの?デマ報道じゃ?
と少し期待しながら、会見の冒頭だけ見た。
本当だった。
その時私の頭を支配していたのは
本当に本当に自分勝手だけど、
「私、なんで離れた…?」
という感情だけだった。
いつかまた好きになるかもしれない。7人と内くんを待ちながら…いや、再び好きになるのは内くんがエイトに戻ったらにしよう。
そうやって、「好きになるタイミング」なんて自分じゃ決められないのに、理由をつけて、本当は好きなのに、7人のエイトも好きな自分を認めなかったようなところがあったな…とめちゃめちゃ後悔した。
離れたのは自分の意志だったけど、この数年間エイターさんがエイトとみてきた景色は最高だっただろうなと、羨ましくてたまらなかった。不謹慎かもしれない、ごめんなさい、でもそれが素直な感情だった。
8人は永遠だと思っていたし
7人はずっと「8」を待ってると思っていたかった。
今を生きている人、7人のエイトを好きな人たちにめっちゃ嫌われるやつ〜〜やだ〜〜と思いつつ、捨てられない夢というか…そんな感情があったんです
でも会見を見た時に、もう「8」に戻ることは二度とない と、その事実があまりにもハッキリと目の前に現れたんですよね。
(内くんの2011年のコメントも知っていたけど、8人とも事務所に所属していればいつか…という勝手な願望をどうしても捨てられなかった)
(「結構前におーくらくんの日誌から『8→1』が消えた」ということは、この4.15関連のニュースを調べながら知った)
その事実を目の当たりにして、それはそれはひどい後悔で、崩れ落ちましたよ。
どっちも好きなら、目の前にいてくれるそのまま、好きだといえば良かったし、応援すればよかったんだよ、私…
「戻るなら今、善は急げ」と
狂ったように、懐かしいジャニーズウェブを開き、
内くんのページがあることに喜びつつビビり、
FC(情報サービス)無料という事実にビビり、
0コンマ何秒の勢いで入会した。
少し時間をおいてエイトのFCに入会した。
戻ってくるときも入り口は内くんが良かったのか?私。
(その時は何も考えてなかった)
離れてから今日までに出した円盤を集め、(膨大な量でまたビビる。月日が流れた…金も飛んだ…)
お仕事の歴史を学び、
現場に申し込み、
「ああ好きだな」
と私はジャニオタ復活宣言を一人で行ったのでした。
「2018年になっても、200X年に好きだった人たちをまた応援できる…
これはひとえに、ここまでずっと支えてくれたファンの人たちの存在なしにはあり得ない…超特大感謝」と、じゃにおた先輩の皆様にめちゃめちゃ感謝を捧げたのもこの時です。今もです。ありがとうございます。
十五祭の感想
自分語り長かったですね…ほんと…
そして見出しのセンスのなさよ…
ここから十五祭ネタバレあります。
2019年7月、十五祭の幕があけました。
ネタバレを避けるか(出戻り1年で15年の歴史をちゃんと復習できているか自信がなかったから)悩んでいたけど、
大倉くんが「Excite!」からライブDVDを見返していると知り、
「これはイントロで崩れ落ちたい」と必死のネタバレ回避を決行。
各方面から「セトリがやばい」「演出がやばい」「号泣」
内担さんからも「ヤバい」の感想。
ワクワクとドキドキを抱えて、
ネタバレも3曲踏むにとどめることができて、
満を持して迎えた8月4日の私的初日。
可愛い安田担さんと二連だったんですよ。その時点ですでにめちゃめちゃ最高。
カウントダウンからの、オープニングムービー。
オープニングムービー……なにこれ天才…!?
15年間の歩みを、戦国絵巻風に紹介するストーリーで、
いろは節の衣装を着た8人。8人にすぐ反応してしまう私はそこでまず ひと涙流しました。
さらにイエローとピンクが隣同士に座ってる(レンジャーだった?いろは節の衣装だった?)のを見て心の中でオンオン言った。公式が…ウチリョ…(内亮の亡霊)
そしてムービーの中で語られる歴史は2005年あたりへ。
2005年には、「1人のメンバーと袂を分かつこととなる」
関ジャニ∞は内くんのことをそうやって紹介してくれた。
もちろんこのあと、2018年にすばるくんの背中を押したことも紹介された。
上手く言えないんだけど、「8人も7人も6人も、すべて関ジャニ∞。どの瞬間を好きな人も、みんなエイター。」と宣言してもらったような気持ちになった。
もちろん、陰に陽に、エイトのメンバーはそれを伝えてくれていたけど、
この場で、8人も7人も6人も同列に歴史の1ページとして表現してくれたことが、なんだろう、嬉しくて嬉しくて「あ~好き」としか言えなくなったところにエイトの登場。
「キャーーーーー!」(この瞬間大好き)
そしてね…
一発目の曲目はなんと
『∞o'clock』
同行の安田担ちゃんに「1曲目ヤバいですよ」と教えてもらっていて、何かな何かな~と思っていたら…
ま さ か す ぎ た
あああああああ
ありがとう
セトリ
世界
なんかC&Rうまくできなくて泣いたけど(笑)
「最高で最強」のとこ、横山君の声めっちゃ聞こえるのも好きだし、
「おまたせしました Show time ∞ o'clock」で最高にアガる。
心拍数120とかだったと思う。
そのあとも無限に神セトリが続きました。(端折ろうとすな)
ブリュレとMasterpieceは超感激、ペンラを振ることも忘れて凝視。
そして、来ましたStreet Blues~~~~!待ってた、映像化ありがとう(円盤出ますよね?)カウンターチェアーに腰掛けるエイトかっこよすぎか!?抱かれた抱かれました死。
勝手に仕上がれが最高に楽しすぎて最高(語彙力)。
アンコールのメドレー楽しい~!大画面でいろは節のPV~!内くんの顔~!ビジョンに映し出された内くんの顔に思わずペンラを振る私(ペンラの色は青)。
とにかくとにかく声出して踊って楽しかった。
下手なビートをずっと刻んでいたのでめっちゃ汗かいた。
(立ってるときずっと動いてたから目障りだったかもしれないごめんなさい!)
あ~あ
楽しかったな~~~
エイトのライブのあとの
「愛された!!」
って感覚がたまんなく好きだ。幸せ。
ライブの後の女の子たちの顔を観るの、すごい好きなんですけど、
みんなやっぱり愛された顔してるんだよね、すごい可愛い。
終演後は同じ公演に入ると教えてくれていた内担のお友だちと、
感想を言い合って帰りました。
感想っていうか、
「「楽しかったね~~~!!」」
(数秒の沈黙)
「「は~ほんと楽しかった~~~!!」」
という、「楽しかった」以外の語彙力をなくしたあれでした。(笑)
楽しかった。それしかないし、それでいいよね。
「好き」の在り方、そのままでいいじゃんって思えました。
「好き」の気持ちを、色んな理由をつけて無視するのだけはやめよう、って改めて感じました。
「好き」の気持ちは人生を彩る。
じゃにおた再開するときに掲げたこんなテーマも案外いい線いってるやんと思いながら、ホテルへの帰路についたのでした。
ちゃんちゃん。
(結論雑………オチのなさ…………)
ここまで読んでくださった方、拙い長い文章にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
今日も明日も明後日も「好き」って言って自分で自分を幸せにしてやりましょうね!