凛としてる。

言語化が苦手なおたくの練習帳。主に現場の備忘録。関ジャニ∞、内博貴くん、ふぉ~ゆ~

自担って増えるんだなって思った話

はじめまして。こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。てんと申します。
言語化が苦手なおたくが「自担」の定義を言葉に出来そうな気がしてきたので、ポチポチ紡いでみます。

書いていて相当気が狂っていると思いました。
でも安田章大くん主演舞台「マニアック」の言葉を借りれば「好きになったら気が狂うほど愛し抜け」ですから。その言葉通り生きているのかもしれない。

このブログはいつもですが、ただの脳内会議大公開自己満エントリーになっています。
今回は、「自担の定義ってなんぞや~」についての半年間の脳内会議です。

それでは始めます。

 

 

 

 

「自担」は1人だと思って生きてきました。

とは言うものの、私自身は「好きの気持ちは人生を彩る」という信条でできた人間で、エンターテインメントが大好きだし、ジャニーズも色んなグループや人に対して「かっこいい!」と沸くし、ジャンルを越えてたくさん「好きな人」がいます。「自担」が複数名いる友だちもたくさんいるし、彼女達の素敵なジャニオタライフもまるっと愛おしくて大好き。

ただ、私の定義の問題で「自担は1人」だったんですよね。
私の中で「自担」という日本語は「旦那」的な位置にいる言葉です。
実際に自分の人生の中で自担と出会って恋愛をして結婚したいかと問われると、冷静に考えて、正直「同性ファンがたくさんいる名の売れた芸能人とは結婚したくない」が本音だけど(大丈夫心配しなくても可能性はないよ)、結婚とは別次元で「一生涯、心の真ん中に据えて添い遂げたい人」が「自担」の定義になっていました。

だから「担降り」の概念は、そもそもない。
すぐ今と同じ熱量で追えなくなるかもしれない…という不安があるうちは、""私は(ここ大事、誰のことも否定してません)""「自担」とは呼べない。いや将来のことなんて分からないと言われればそこまでなんですがね!
社会人になってから思う後付けの理由だけど、"担"っているので…私の支払いが彼らの生命維持になっている…というのが「担当」を名乗る原動力なので、数年程度で担うのをやめるなんて申し訳なくてできない。(重)これは個人の感想です。

 

この定義になっていた、というのは、初めての自担が安田さんだったからだと思うんです。
この言葉を使い始めた15年前は、そんな深く考えた結果の「自担」呼びではなかったから。

安田章大という男は天才的で、彼に魅了されて安田担になっていった者は、かなり重い愛を抱える傾向にある気がする(統計データはとっていません)。
そして安田さんのことになると全員気が狂う(誉め言葉)。
まあ、安田章大さん、地球を抱いていますから。
安田章大さん、愛が重い方ですから。

そんなわけでズブズブなわけで。

安田さん=自担で、自担=安田さん。
自担の定義は、私自身の安田さんへの気持ちそのもので、人生の経過ともに変遷していって、「一生涯、心の真ん中に据えて添い遂げたい」存在を示す言葉になったんじゃないかな。

つまりは、かっこいいと思う人は数多くいれど、「自担(=安田さん)と自軍(=関ジャニ∞)」に抱く以上の感情が沸き起こらなかった。気が狂うような、今までの人生全てを投げ打ってあなたに尽くしたいと本気で思わされるような、宗教的な熱狂を持って応援できるのは関ジャニ∞安田章大だけだった。だから「自担は1人」の感覚に矛盾が生じることはありませんでした。

 

がしかし。

事件は2018年に起こる。

ふぉ~ゆ~に出会ってしまったんですね。

こんなに気が狂ったのは久しぶり。実に15年ぶり。

たまたま「関ジャニ∞」のキーワードの自動録画で撮れていたおしゃれイズムとアウトデラックスをぼんやり眺めていたら、突然4人から目が離せなくなってしまって、風間くんとふぉ~ゆ~の、たった1コーラスの「硝子の少年」を3000回ぐらい観ました。
(1時間ずっとその映像ばかり見る…というのを約1か月繰り返したので、多分リアルにそのぐらい)

そして今メールを検索したら、私は2018年10月2日に軽率にFC(無料)に入ったようだけど、特に現場を探して入るようなことはなく。

でもENTA!という存在が何だか気になって、試しにレポを検索したらどうしても行きたくなって、チケットを譲っていただいて、いざ会場に行ってみたら、譲っていただいたお席がなんとまあ辰巳くんのお立ち台の真横だったんですね~。メイクばっちりJK辰巳くんに完璧にしてやられた。

私、他にも人生の中で「かっこいい!」「一度生で観てみたい!」と思う人たちにはたくさん出会ってきているくせに、全くもって行動に移せていなかったんですよ。ミスチルなんて想い始めてもう何年だよ。三浦大知くんにいたっては20年越えだよ。さっさと現場に行きなよ。でもどうせ「お金ガ~時間ガ~」って言って行かないんでしょうね私は。自らは。誘ってくれる友達ができるといいね。(他人まかせやめなね)

話がそれてしまいました。そんな腰が重い私が、初見で脳天刺されて理性を失って、テレビ番組の1分にも満たない箇所を永遠に再生し、軽率にFC(無料)に入り、軽率に現場を探してぬるぬると1人で参戦してしまうなんて、気が狂ってる。
ENTA!で繰り広げられる素晴らしいパフォーマンスを楽しみながら「めっちゃウケるな」と自分を客観視して笑ってた。(笑うな)

あ~これは軽率に「自担」と言ってしまうかもしれない…。
いやでもまだよ。すぐ飽きたらどうするのよ。(心の声)

そしてあろうことか(?)最後の辰巳くんの挨拶を聞いて*1「ふぉ~ゆ~にドームのペンライトの海を見せたい!!」と思ってしまった。東京公演ではペンライトダメだったのに、何故かそう思ったんだよね。*2
この感情はね~エイトの初期と一緒だった。これは怪しい感情の動きです。

 

さて。舞台班な彼ら。
年中現場があります。

2019年。
ミュージカルは大好きだけど、正直「演劇」はあまりたくさん観なくても良いかな…と思っていた私が
当初の手持ちの倍以上、当日券で入ってしまったり、(3月)
当初の手持ちの倍以上、当日券で入ってしまったり。(2回目)(5,6月)

気が狂ってきましたね。

SHOW BOY、東京も複数回観劇に行けるのに、名古屋遠征をチケットがない段階から決めてしまった時にはもう完全に気が狂っていた(無理して東京に一人暮らししている理由は、東京に住んでいれば遠くに行かずとも私の求めるエンタメが完結するから。なので遠征=気が狂ってる だった。私に対しての評価ね。)

その時点では、実はまだ「ふぉ~ゆ~担」「辰巳担」を名乗るのに気が引けていた。20年の歴史に対してマジで何も知らないし。色んな考え方はあれど、私の中で「自担は1人」だし。
でもなんかぬるぬると「辰巳担で~す」みたいな顔してツイートしてるし、実際に慣習でそう自己紹介することもあるし、夏以降はちゃんと(?)「辰巳担でふぉ~ゆ~担」の自覚が芽生え始めたので、「自担とはなんぞや」問題に私も取り組まなければ……いったんここで「自担は1人」になってる理由を整理しなければ。

特に「辰巳担になりました!」「掛け持ちしてます!」みたいなツイートはしていないし、逆に自担は1人主義を開けっ広げに言ったこともないし、Bio欄もツイフィール(略し方あってる?)もDDですか?って感じだから、「言ってることとやってること違くない?www」って刺されるかもしれない。そもそも「自担」の定義なんて人それぞれだし、こんな記事を全世界に公開する必要はないかもしれない。
でもお友達の皆様が「こいつ気狂ってんなwww」と近づくのをやめる判断基準にはなるかもしれない(仲良くしてくださってる方は本当にありがとうございます。)

 

夜な夜な考えて、頭に浮かんだ言葉をメモして並べてまた考えた結果、
結局「自担」とは「結婚とは別次元で、一生涯、心の真ん中に据えて添い遂げたい人」という定義は間違いないだろう。
じゃあ、それを判断するのはどこか?というクエスチョンへのアンサーは「気が狂ってた状態がある程度続いたか?」ということになった。"ある程度"の基準も"気が狂った"の基準も曖昧だね…。でもとりあえずいったんこれで。

一瞬話がそれるようだけど、私の中で「旦那」「自担」と同じポジションにある日本語として「師匠」という言葉がありまして。私は社会人になるまでずっと「師匠」と勝手に呼んでいた存在はこの世で1人だったのだけど、その人が「仕事をする上での師匠を作りなさい」と教えてくれて、「師匠は1人じゃなくてもいいんだ!」という気付きを与えてもらって。
そのあたりから色んな枠組みに関して柔軟にとらえられるようになったし、人にはそれぞれの「正しい」があることも受け入れられるようになったし、自分が頑固に守ってきたプライドもぶち壊しながら生きていこうかな、って感じたことがあったのです。

まあ、だから、そうやって考えると、私の中の自担の定義をもってしても、自担は1人じゃなくても良い。というところに行き着きました。だって「旦那」ではないものね。「結婚とは別次元で、一生涯、心の真ん中に据えて添い遂げたい人」が複数いたって問題ないと思うよ、私。だって恋とか愛とかそういう次元では説明できないから「自担」という日本語があるんじゃないか。そういう存在を複数心の中に抱いて愛して生きるのも体力いるけど素敵な人生だと思うよ、私。

わ〜すっきり!自己矛盾の解決!自由だ!!!!(?)
そういうわけで約半年間自担の定義を問い続けた結果、「自担は1人」の重圧を乗り越え、晴れて掛け持ちの人格を手に入れました。おめでとうございます。

そして恐ろしいのは、「自担」が増えたからと言って、愛を分割して注いでいるかというと、そうでもないこと。全員に全力すぎていつかスタミナ切れするのでは。と危惧しているし、いやアラサー痛いぞ…って自分によくツッコミを入れるんですけどね~ウケる。

でも何歳になっても夢中になれるものに全身全霊で愛を注いでいたいし、そうやって生きていきたい。おばあちゃんになってもゴリゴリに踊っていたいからダンスを習いたい(急に何の話ですか?)
年齢とか立場とか性別とか職業とか、色んな理由をつけて好きなものを好きじゃないフリはしない。

私はそうやって愛を原動力に生きていきたいんだ。自担たちがそうであるように。

 

 

 

 

そんなわけで「自担の定義」考察でした。

 

ここまでお読みくださったあなたすごいです。忍耐力100万点です。
お付き合いいただき本当にありがとうございました。

*1:「ずっと応援してくれてる人も、今日初めて知ったという人も、絶対自慢になるグループになるから」とかだった気がする。

*2:ちなみにこの夢は、2019-2020のカウコンで簡易的に叶っちゃった。その場にはいられなかったけど!